アプトは面白い。やってることも、やってる人も面白い。でも、わかりづらい----お客様をはじめ、アプトとご縁のある方から、何度こう言われたことかわかりません。
なぜわかりづらいのか? 何をやっている会社なのか? アプトを作った山口は、どんな人物なのか・・・?! 今ここに、アプトにまつわる壮大なドラマを、まるっとお伝えいたします。これを読んでいただければ「単なる小さな会社ではない」ことが、きっとわかっていただけると思います。
序章 〜社長 山口の誕生からキーエンス入社まで〜
かわいい商人(あきんど)

1970年8月14日埼玉県川口市に、誕生。父親は駄菓子の問屋業を営み、母親はよろずや的なお店、山口商店を切り盛りしていた。幼稚園から帰ってきて、母が不在で店が閉まっていると勝手に店を開け、一人で店番をしていた。近所のおばちゃんに「ツケ」で商品を売ったりしていた。その頃から商売人魂が芽生えていたのかもしれない。

IT魂の芽生え

中1(13歳)でパソコン魂が芽生える。「パピコン」と呼ばれるPC-6001をおじさんに買ってもらい、パソコン雑誌を見ながら、ベーシックでゲームを作って遊んでいた。
のちにパートナーとなる秋山も、同じ時期にこの「パピコン」でプログラムを組んで遊んでいたことがわかる。この頃からすでに運命の歯車は動き出していた・・・のか

漢を磨いた(?)高校生活

都内でも有数の進学校である巣鴨高校に進学。そこは文武両道を目指す独特な教育理念があり、40キロ以上の険しい山道を「強歩」で歩き切る「大菩薩峠越え」や、白いふんどし一丁での遠泳、さら は柔道、剣道の早朝寒稽古(山口は柔道を選択)など、ユニークな年中行事が目白押しだった。様々な貴重な体験を重ねた3年間の男子校ライフ。心身ともに鍛えられる。

大学受験 現役合格を蹴って、あえての浪人生活を

高校では理系だった山口は、いくつかの理系の大学に現役合格していたにも関わらず、浪人の道を選択する。理由は「理系は大変そう」「遊びたい」「ラクしたい」という煩悩丸出し。3年間の厳しい高校生活で、大切な何かを使い果たしてしまったのか?浪人というまさかの選択をしたものの、成績は良かったので、共通一次でもそこそこの点数を獲得。高待遇での予備校生となる。

晴れて「文化系」の大学生に

勉強した覚えがほとんどないという浪人生活を終え、2度めの大学受験。念のため理系大学もいくつか受験し、合格通知をもらったものの「やっぱ大変そうだから行きたくない」と、明治大学への進学を決める。夢見ていた「文系大学ライフ」が現実のものとなる。

絵に描いたようなゆるい大学生活

「4年間遊びまくる」と宣言した通り、学校へはほとんど行かず、サークル活動とバイトに明け暮れる。サークルといっても夏はテニス、冬はスキー、春と秋は野球にサッカーという軟派大学生の鏡のような活動で、「暇すぎて野球ばっかりしてた」とは本人談。今は有名になったある役者さんと試合をしたこともあるそうだ。ちなみに、奥様はサークルの後輩。
一方、働くのは嫌いじゃなかったのか、家庭教師、ディスカウントストア店員、試験監督などいくつものバイトを経験。ディスカウントストアではキャンプ用品などを扱い、アウトドア魂はまるでないものの、商品知識だけかなり詳しくなった。もっとも熱心に働いたのは、広告代理店でのアルバイト。ネットのない時代だったので、色校やビデオ素材などをテレビ局や出版社などに届ける仕事だった。のちのイプロス時代に発揮することになる「広告」に関する知識の下地は、この頃から培われていたのかもしれない。

そろそろ本気だす・・・就職活動開始

ぬるま湯に浸かったような大学生活にもろそろ飽きて、「ちゃんと就職しよう」と心を入れ替え、真面目に就職活動を始める。持ち前の要領の良さで、学校にはほとんど行っていないのに単位はキッチリ取っていたので余裕で卒業はできる。
第一希望はなんと三菱総研。一般企業よりもシンクタンクで働きたいという思いがあり、説明会に参加するも、見事なほどの門前払いを食らう。そもそも明治大学の学生は、面接はおろか、履歴書すら出させてもらえなかったのだ。
そんな現実を知り、気持ちいいほどにサクッと方向転換。「とにかく面白い会社に入ろう」と、業界業種関係なし、直感に従って気になるところを片っ端から受けてみた。その中の一社が「キーエンス」だった。

いろいろ衝撃のキーエンス

キーエンスを選んだ大きな理由は高い年収。当時大卒初任給の相場はと比べ、キーエンスは群を抜いて高かった。そのスケール感は採用の仕方にも現れていたようで、説明会のつもりで行ったらいきなり適正テストが始まり、訳もわからず受けたら「はい、合格です!」と言われる。その後、4回のテストを次々とクリアし、最終の役員面接に挑む。ところが会話が成り立たず、完全に落ちた・・・と思っていたのだが、まさかの合格通知が届く。あとで聞いた話では、当時のキーエンスは学歴にはこだわらず、「動ける人」を求めていたらしい。ちょうどハマった感じだったのかもしれない。
1994年 4月 株式会社キーエンス入社 30名ほどの仲間とともに、営業マンとして採用された。


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